極真会館とは

極真会館は、創始者大山倍達が日本をはじめ、世界各国で修業を積むなかで確立した独自の精神と直接打撃性というルールを持つ武道空手を通じて人格の淘治と心身の鍛錬をはかり、社会貢献を遂行する団体です。 極真空手道においては、人種、民族、国家、政治、思想、宗教、性別、年齢などによる偏見差別がなく、全ての人々が平等の権利を有することを旨とし、国際交流をもって、全世界の平和友好を目指しています。 現在、後を継ぐ松井章圭館長を中心に世界120ヶ国、1,200万人にのぼる会員が、強さや精神力、あるいは健康と美容を求めて日夜修業に励んでいます。 すべての武道は、いずれも厳しい自己修練を課し、その奥義を極めることによって自己の人格形成、すなわち人間としての正しい道を極めることを目指すものです。極真空手は、この武道本来の意味を全うすることを本義に置いています。また直接打撃制、無差別による実践的空手を通し、相手の痛みを知ることによって、人間本来のやさしさを知るという理念も、極真の信ずる道です。 極真とは、「千日をもって初心とし、万日をもって極みとする」という武道の格言から発した名称です。完成はないと言われるほどの、厳しく険しい武道の真髄を極める意です。極真会館に伝統的に受け継がれている精神である、「頭は低く目は高く、口慎んで心広く、孝を 原点として他を益す」とは、創始者である故大山倍達自身が、長年の厳しい修行人生の中で確立した極真精神です。また一方では、極真の挨拶、「押忍」の精神には、尊敬、感謝、忍耐という意味が込められています。心身を錬磨すると同時に、伝統や礼節を重んじる極真会館での修行が、実生活に活かされると信じます。   大山倍達  国際空手道連盟極真会館創始者。 1923年6月4日生まれ。 幼少の頃より拳法を学び、14歳で山梨少年航空学校に入学。15歳のときに船越義珍先生(日本に初めて空手を紹介した人)の門下生となる。その後、拓殖大学、早稲田大学に学び、身延山での修行を経て1947年9月に戦後初めて開催された全日本空手道選手権大会で優勝。 1948年4月より清澄山にて1年8ヵ月の山籠り修行を敢行し、下山した1950年11月、千葉・館山で猛牛と対決。47頭の牛を倒し、うち4頭は一撃で 即死。1952年に渡米して全米各地を回り、空手の演武とデモンストレーションを行い、空手をアピール。その間、プロレスラーなどと真剣勝負を繰り広げ7 戦全勝。その後も度々世界各国を歴訪し、演武と指導を行い、空手を世界に広める。 1964年、国際空手道連盟 極真会館設立。1969年には『直接打撃制(フルコンタクト)』を提唱し、第1回全日本空手道選手権大会を開催。1975年には通称『カラテオリンピッ ク』と呼ばれる第1回全世界空手道選手権大会を開催して、全世界に極真空手ブームを巻き起こす。世界120ヵ国に公認道場を持ち、1200万人の門弟の総 裁として、その生涯を極真空手に捧げた。1994年4月26日、肺癌のため急逝。享年70歳。   松井章圭  館長 1963年1月15日生れ。 故大山倍達総裁に憧れ、1976年(中学生時代)に極真会館入門。恵まれた素質と不断の努力により、たちまち頭角を現す。 1980年、若干17歳で第12 回全日本空手道選手権大会で堂々4位に入賞し、その非凡さを世に知らしめた。 第17、18回全日本空手道選手権大会優勝。翌年の第4回全世界空手道選手権 大会を制すという偉業を成し遂げ、その俊敏にして華麗な組手は空手界の貴公子と呼ばれ、多くのファンを魅了した。 また1986年には第18回大会優勝に先 立ち、極真会館において荒行中の荒行と呼ばれる百人組手を完遂し、試合選手としての輝かしい戦績も武の道を追求する過程と延長上のひとつとして存在するこ とを先陣に立って実践。 その後、後進の指導にあたりつつ、大山総裁の哲学を学ぶ。 1994年、大山総裁の死去に伴い、その遺志により、国際空手道連盟極真 会館の館長に就任。 現在世界120ヶ国に広がる極真会館の組織運営と極真空手の益々の発展を目指し、東奔西走の日々を送る。