その2、その3へ続く。。。
佐野先生 独占ロングインタビュー
極真会館城西世田谷東支部田無道場分支部長
佐野忠輝
数々の名勝負で道場生を魅了してきた佐野先生。しかしその道程は、決して順風満帆ではなかった。汗まみれで這い上がってきた空手人生で掴んだ、勝負哲学とは何か。また
試合中の鬼の表情とは裏腹に「やさしい先生」として慕われているその人となりに迫る!
――今回はホームページリニューアル記念のインタビューということで、佐野先生にお話を伺うことになりました。
「自分なんかで大丈夫ですか?(笑)」
空手との出会い
――そもそも佐野先生と格闘技との出会いはいつだったんですか?
「私が小学生の頃、テレビでプロレスをやってまして、金曜日の夜8時になると金八先生も見ないで熱中して観て、次の月曜日になると、昼間、友達とプロレスごっこをやって、それが格闘技との初めての出会いでしたね」
――立ち技系格闘技ということになると、なにがキッカケですか?
「ブルース・リーかジヤッキー・チェンかロッキーか定かではないのですがこの辺ですか。ただ習うまで情熱がまだなかったので部活で一番近そうなのを選びました。」
――おっ!いよいよ自分自身でやる時がきましたか。
「そうなんですよ。ただ中学生まではその柔道部だったんですけど、高校では「スクールウォーズ」の影響でラグビー部に入り武道・格闘技から一旦離れます。
ただこの時期に「熱く生きる」気持ちよさを学んでしまったので現在の状態へのレールはこの辺からではないかと思われます。
――その後、大きな転機が訪れた。
「そう、高校を卒業したころに『極真』に出会っちゃったんですよ。友人が見せてくれた全日本大会のビデオ(ベータ)が、とにかくカッコ良くって(笑)。なにしろ先ほどの映画の世界とちがって現実にいる人たちが主人公ですから、そのリアリズムが少年心?にセンセーショナルに響いちゃったんですよ。
――それは衝撃ですよね。
「そして進学のため京都にいって道場に入門したわけですがビデオの中の人物(川畑師範)が実際に稽古している姿に痺れてしまいました。」
――そこから、空手一筋と。
「もう一昔前、空手バカ一代などで同じように触発された人が相当いたと思うんですね。(笑)でも自分くらいから空手バカ一代を知らない世代に入るんではないでしょうか?青帯くらいになって先輩の家で初めて手に取りました。もう面白くって仕方なく、これをもっと子供の頃に読んでいたら違う人生だったかもと思いました。入門してからは毎日が刺激的なドラマの連続だったので余計に響いたんでしょうね。後「恐怖新聞」というホラー漫画と絵のタッチが同じなのに話が全く違うのも面白かったです。」
――空手の修行を始めてから、挫折したことってありましたか?
「空手を辞めようということはなかったですね。ただ、学校を卒業して京都での5年間は、食うや食わずの生活でしんどかったですから、その時は就職してればよかったかなって、ちらっと思ったこともありました」
――稽古で身体を使うのにその生活はきついですね。
「なんかはやりのワンルームマンションなんかに最初住んでたんですが、給料日前になると魚を釣ったりキノコをとったり自給自足でしたね(笑)。でもそれも社会勉強や下積みで、今思えばどっかでプラスになっていると思うんですけどね」
――しゃれたエントランスを魚を抱えた大男が通るわけですか(笑)それでも空手を辞めなかった。
「『我ことに及んで後悔せず』という、大山総裁が語る宮本武蔵の言葉を自分に言い聞かせて、でもだんだん素晴らしい仲間が出来て鍋をみんなで作ってしこたま食べてました。割り勘で激安ながら楽しいわ満腹だわであまりストイックな生活をした覚えはありませんね。」
――どこにいても人が集まってくるんでしょうね(笑)なんか青春だなー。
「でも、選手を辞めようと思ったことはありましたよ。100%やったのに勝てないっていうのじゃなくて、勝つために必要な努力をしていない自分を棚に上げて、勝てない自分を悲観して、辞めようと思ったことが何回かありました」
――どうやって思いとどまったんですか?
「それが不思議なんですよねぇ。その度に、転機が訪れるんですよ。
最初に就職して選手も一区切りかなと思ったときにバブル崩壊で新人がみんな切られてヒマになってしまったのでフリーター&稽古の生活をしていたら苦しいなりに稽古の結果が出てきて
また選手への情熱が湧いてきたり、教える立場になったら少年部や一般部の頑張りをみて触発されたり。」
――運命は休ませてくれなかった。
「最近では肥満防止といううわさもありますが、基本的に戦うこと自体が好きみたいです。」
自分の弱さに立ち向かう・・・それが一番ハードなトレーニング
――さきほど「勝てない」なんて話が出ましたが、勝つ、いやチャンピオンになる選手というのは、どういう資質があるんでしょうか。
「上位に残る選手って、技量という点ではほとんど変わりないと思うんですよ。そこを勝ち上がっていけるのは、人としての強さ、心の強さだと思うんですよね。」
――精神的な強さですか。
「それは、必ずしも練習で身につくものとは限らなくて、中にはそういう強さを、生まれ持って身につけているヤツもいるんですよ。例えば、道場では俺の方が強いのに、大会本番になるとなぜかヤツのほうが成績がいいとかね」
――います、そういう人。
「ただ以前は、勝負に対して淡白というか、稽古をしている自分に満足してしまうなど、勝負に対する執念が足りなかった気がします。これだけ稽古して大変だったのをわかって下さい!
見たいな感じ。人目のためにやるみたいな物ですよね。今思うと精神の強さうんぬんとは真逆なベクトルだった気がします。」
――違うところでで満足しちゃう。
「逆に言うと、それさえあれば何とかなるんですよね。もちろん根本的にその人が格闘技に向いているかっていうのはあると思うんですが、今はこれだけトレーニングのノウハウが研究され、戦略あり、戦術もありで、そういう環境は誰でも整えることはできる。あとはその精神力さえあれば、勝つことって、意外に簡単だと思うんですよ。もちろん一筋縄ではいかないですけど。そこの最後のもうひと絞りを出す力が大切ですよね」
――そのメンタリティを身に着けるにはどうしたらいいんでしょうか。
「私自身が修行中の身なのでうまく伝わるかわかりませんが、実体験から勝負論とはこうゆうもんだってことは、生徒たちには伝えてますね。ただそれをどう受け止めるかは、それぞれの自由。『こんなにチャンスがあるんだから、獲りにいけ。いまどき強い人間は山ほどいる。でも上を目指すんだったら、格好つけていてはだめだ。どれだけいい環境でトレーニングしたって、すごいサプリメント飲んだってそんなものはなんのたしにもならない』と。自分の必要なもの、足らないところに真正面から向き合うことができるかどうか、これが一番きつい稽古だと思うんですよ。」
――無意識に逃げちゃうことが多いです、普通は。
「そうなんですよ。もうダメだって思ってから、支部長の田口先生ように、あともうひとがんばり、できたらもうひとがんばりっていう気持ち。まだできるって、本当にに全力かっていう精神ですね。ここぞの場面で人間って、理性が働いて、そんなの恥ずかしいとか、危ないとか、損だとか、痛いとか、理性が一瞬で自分を支配していくから、無意識の中のそういう意識が自分を甘えさせて、頑張るのを止めたり、あきらめたりしてるんですよね」